第1章 アニメーションの原理

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映画の誕生


映画の誕生

映画は「幻灯機」「アニメーション」「写真」の技術が様々な研究者の発明・発見により改良されて、19世紀末に誕生しました。
ここではエジソンが開発したキネトスコープ用の映像「鍛冶屋のシーン」と、映画の父と呼ばれるリュミエール兄弟による初めての映画「工場の出口」、またそのスタッフが世界各地に赴いて撮ってきた映像の一つとして、日本の剣道の練習風景を記録した「剣道」をご紹介します。
さらにリュミエールの映画の興行を観て映画の可能性に気づき、さまざまなトリック映画を作り出したジョルジュ・メリエスの映画も取り上げています。
下のタイトルをクリックしてお選びください。  

・『鍛冶屋のシーン Blacksmith Scene』ウィリアム・ディクソン 1893年

・『工場の出口(La Sortie de l'Usine Lumière à Lyon)』ルイ・リュミエール 1895年

・『剣道(KENDO)』ガブリエル・ベイル(リュミエールの派遣スタッフ) 1897年

・『ゴムの頭を持つ男(L'Homme à la tête en caoutchouc)』ジョルジュ・メリエス 1901年

※ ここでのムービーは、YouTubeにリンクして表示しています。YouTubeで削除された場合は表示されないことがありますが、その場合はご容赦ください。  
ムービー情報・アイコン

「鍛冶屋のシーン」

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1893年にエジソンが設立したスタジオ「ブラック・マリア」で、エジソンの助手のディクソンの監督のもとに撮影され、同年ブルックリン美術館でおこなわれたキネトスコープの公開展示で初めて上映された作品です。
この映像は、スタジオの中に鍛冶屋の工房を再現し、俳優たちが鍛冶屋を演じたものだとされています。
三人の男がハンマーで鉄を叩き、ボトルの水を回し飲みするだけの映像ですが、次々にハンマーを打つ動きと、回し飲みする動きが、静止した写真とは違う動く映像の面白さを表しています。
ブラック・マリアは内も外も黒塗りの撮影スタジオで、天井が開閉式であり、建物全体も太陽の方角に合わせて回転できるようになっていて、晴天の日に太陽光で撮影していました。
これは、当時フィルムの感度が低く、室内の照明では撮影できなかったためです。
結果的に、ブラック・マリアの黒い屋内が背景としてコントラストを生み、人物たちの姿を際立たせています。

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撮影スタジオ「ブラック・マリア」

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ブラック・マリア内での撮影風景のスケッチ画(ボクシングの撮影をしていますが、部屋の隅にマイクも描かれていて、音声も同時に記録されていた様子が伺えます。)

※「世界映画全史.1」ジョルジュ・サドゥールp.209、p.210の写真から引用
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