第1章 アニメーションの原理

No.04

アメリカでの発展


 

アメリカでの発展

アニメーション・メディアの確立

アニメーション映画の黎明期にはフランスのエミール・コールやロシアのラディスラフ・スタレヴィッチ、アメリカのウィンザー・マッケイなど、個人で制作するユニークな作品が数多く現れましたが、その後、アメリカでは映画産業の一分野として発展し、多くのスタッフを抱えたスタジオ・システムで、分業化を図り、セルやタップを使って背景を動かしてパンをさせるなど、合理的な制作体制が築かれて行きました。
ここでは初期のアメリカの代表的なアニメーションを数点ご紹介します。  

・『猫のフィリックス(Felix the Cat)』パット・サリバン 1919年

・『インク壺の外へ(Out of the Inkwell)』マックス・フライシャー 1919年

・『蒸気船ウィリー(Steamboat Willie)』ウォルト・ディズニー 1928年

・パペトゥーン例 『Jasper And The Haunted House』ジョージ・パル 1942年

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「猫のフィリックス」

猫のフィリックスは、1919 年にパット・サリバン(Pat Sullivan)とオットー・メスマー(Otto James Messmer)によって作成されたキャラクターです。
サリバンのスタジオでは、すでに実写のチャップリンをモデルにしたキャラクターのアニメーションのシリーズを制作していましたが、猫のフィリックスを主人公にしたシリーズは大変な評判を得て、フィリックスは、後世、サイレント映画時代のミッキーマウスと言われるほどの人気キャラクターになりました。
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メスマーによるフィリックスのキャラクターの宣伝広告
フィリックスが、事業者に対して自身の売り込みをしています。

※「BEFORE MICKEY」Donald Crafton p.309の挿絵から引用

ヨーロッパでの独自のアニメーション

上記、ジョージ・パルもヨーロッパで独自のアニメーション技法パペトゥーンを開発してアメリカに渡り活躍しましたが、アメリカでスタジオ・システムによるアニメーションが盛んに製作される一方で、ヨーロッパでは小規模ながら独自の実験的な技法で造形的にも内容的にもユニークで深い作品が作られています。
ここでは、マルチプレーンを使った独特の陰影を持った作品「観念」と、抽象的なアニメーションのパイオニアのひとりであるオスカー・フィッシンガーの「オプティカル・ポエム」を紹介したいと思います。
下のタイトルをクリックしてお選びください。  

・『観念(L'idée)』ベルトルド・バルトーシュ 1932年

・『オプティカル・ポエム(An Optical Poem)』オスカー・フィッシンガー 1938年

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「ピンスクリーン技法の解説」

アレクセイエフとパーカーが発明したピンスクリーンの装置は、白い直方体(3フィート×4フィート)のボードに数十万本(2.5センチ四方に約340本)の黒いピンが埋め込まれていて、ピンは前後に可動式になっています。
このボードに斜めから光を当てて、ボードから突き出たピンの長さを調節することで、そこにできる影の長さが変わり、明暗の階調を作ることができます。
アレクセイエフとパーカーは、1933年に彼らが発明したピンスクリーンの装置を使った初のアニメーション作品、「禿山の一夜(Die Nacht auf dem Kahlen Berge)」を制作しました。これはモデスト・ムソルグスキーの曲に乗って、聖ヨハネ祭の前夜に禿山に魑魅魍魎が集まって騒ぎ夜明けになって消えていく様子を描いた作品です。
いわゆるカートゥーンとは異なる暗く深いイメージの新しいアニメーションとして高い評価を得ていました。
その後もカナダ国立映画局(NFB)に招かれ、カナダ民謡に乗せた「道すがら(En passant) 」1943年を制作しています。
ピンスクリーンの技法は大変な時間と労力を要するため、その後、作品として完成したものは上記「鼻(The Nose)」1963年と「展覧会の絵」1972年、「三つの主題」1980年ぐらいです。
ここでご紹介する「PINSCREEN」は、アレクセイエフとパーカーがノーマン・マクラレンに招かれて、カナダNFBでワークショップを開き、スタッフにピンスクリーン技法を実演しながら解説したドキュメンタリー映画です。
ピンスクリーンは大変特殊な装置で作業も難しいため、アレクセイエフとパーカー以外にその装置を使ってアニメーションを作る者はいませんでしたが、NFBにいたジャック・ドルーアンやミシェル・ルミューがそれに挑戦して、アレクセイエフたちとはまた一味違う作品を残しています。
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ピンスクリーンの裏側から、アレクセイエフの指示により、ローラーを使ってピンを押し出す作業をするパーカー

◆ ピンスクリーン技法の後継者たち ◆

(URLをクリックすると新規タブでYouTubeのページが開きます)
Image「風景画家(mindscape)」1976年
ジャック・ドルーアン(jacques drouin)https://youtu.be/ydiaPnag0YE
ジャック・ドルーアンはピンスクリーン技法を受け継ぎ、この作品を制作しました。
風景画家が自身の描く絵の世界に入り込み、幻想的な世界をさまよいます。
Image「此処と大いなる何処か(Here and the Great Elsewhere)」2012年
ミシェル・ルミュー(Michèle Lemieux)https://youtu.be/rBpaSpV3ljY
ジャック・ドルーアン後にピンスクリーンで臨んだ作品で、フィルムではなく、デジタルカメラで撮影し、前の画像との関係を確認しながら作業することで、より緻密な動きを作れるようになりました。
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