第1章 アニメーションの原理

No.05

戦後のヨーロッパ


戦後のヨーロッパ

ここでは第二次大戦後、東西に分断されたヨーロッパで生まれた、アメリカとは異なる美学・技法のアニメーションをいくつか紹介したいと思います。
社会主義圏で人形劇の伝統のあったチェコから生まれた巨匠トルンカとゼーマン、また資本主義圏からは、若者の圧倒的な支持を集めたサイケデリック・アートやロック音楽を体現したイギリスの長編アニメーション「イエロー・サブマリン」、”彫刻のようなアニメーション”を求めて独自の装置「ピンスクリーン」を考案し、フランスで不思議な陰影のある作品を作ったアレクセイエフとパーカーをご紹介します。
下のタイトルをクリックしてお選びください。  

・イジー トルンカの人形アニメーション ドキュメンタリー・ムービー

・『手(Ruka)』イジー・トルンカ 1965年

・カレル ゼーマンの特殊効果技法 ドキュメンタリー・ムービー

・『イエローサブマリン』1968年 紹介ムービー 

※ ここでのムービーは、YouTubeにリンクして表示しています。YouTubeで削除された場合は表示されないことがありますが、その場合はご容赦ください。  

アレクセイエフとピンスクリーン・アニメーション

ロシア出身のアレクサンダー・アレクセイエフ(Alexandre Alexeieff)は、ロシア革命後にフランスのパリに移り舞台美術や版画の技術を使った挿絵の仕事につきましたが、映画の可能性にも強い関心がありました。
リトグラフの挿絵なども手がけていた彼は、セルを使ったフラットなアニメーションではなく、陰影に富んだ奥行きのあるアニメーションを可能にする技法として「ピンスクリーン」という特殊な装置を妻のクレア・パーカー(Claire Parker)とともに開発しました。
ここではピンスクリーンを使った作品例として「鼻」と、ノーマン・マクラレンに招かれてカナダに渡り、その技術を解説したドキュメンタリー「PIN SCREEN」を取り上げています。
下のタイトルをクリックしてご覧ください。  

・「PIN SCREEN」カナダ国立映画局 1973年

・「鼻(The Nose)」アレクセイエフ&パーカー 1963年

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ムービー情報・アイコン

イジー トルンカの人形アニメーション

チェコのプルゼニで生まれたトルンカは、幼少期から人形作りに親しみ、若い頃は人形劇やイラストレーションの仕事などに従事し、童話集の挿絵でも高い評価を得ていました。
アニメーション作品を手がけるようになったのは、第二次大戦後プラハの国立映画製作所のディレクターに就任してからで、アメリカでの商業的なアニメーションとは一線を画す、社会主義圏ならではの芸術性の高い作品の数々を生み出して、国際的に知られていきます。
人が糸で操る人形劇や日本の人形浄瑠璃などがそうであるように、トルンカの人形は、まばたきをしたり口をあけてしゃべったりはしませんが、体全体の仕草や前後の文脈のなかで、悲しさや恐怖などの感情を見るものに読みとらせます。
これは顔や体の動きが目まぐるしく変化し、エネルギー溢れる表情豊かな演出が主体のアメリカのカートゥーン・アニメーションとは対極をなすものだといえます。
トルンカの元からは優れたアニメーション監督も輩出していて、日本の川本喜八郎やチェコのブジェティスラフ・ポヤール(Břetislav Pojar)が有名です。

このドキュメンタリー映画は、トルンカが人形や舞台装置の造形から動きの演出に至るまで、細心の注意を払って関わっている様子が紹介されています。 また彼が長編人形アニメーション作品のみならず、セルアニメーションや切り抜きアニメーションなどへの造詣も深く、映像を作り出す上で工夫を凝らしていたことがわかります。

Image

「真夏の夜の夢」1959 撮影中のトルンカ

※「Experimental Animation」Robert Russet & Cecile Starr p.73 の写真を転載
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