第1章 アニメーションの原理

No.05

戦後のヨーロッパ


 

戦後のヨーロッパ

ここでは第二次大戦後、東西に分断されたヨーロッパで生まれた、アメリカとは異なる美学・技法のアニメーションをいくつか紹介したいと思います。
社会主義圏で人形劇の伝統のあったチェコから生まれた巨匠トルンカとゼーマン、また資本主義圏からは、若者の圧倒的な支持を集めたサイケデリック・アートやロック音楽を体現したイギリスの長編アニメーション「イエロー・サブマリン」、”彫刻のようなアニメーション”を求めて独自の装置「ピンスクリーン」を考案し、フランスで不思議な陰影のある作品を作ったアレクセイエフとパーカーをご紹介します。
下のタイトルをクリックしてお選びください。  

・イジー トルンカの人形アニメーション ドキュメンタリー・ムービー

・『手(Ruka)』イジー・トルンカ 1965年

・カレル ゼーマンの特殊効果技法 ドキュメンタリー・ムービー

・『イエローサブマリン』1968年 紹介ムービー 

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トルンカの人形アニメーション

チェコのプルゼニで生まれたトルンカは、幼少期から人形作りに親しみ、若い頃は人形劇やイラストレーションの仕事などに従事し、童話集の挿絵でも高い評価を得ていました。
アニメーション作品を手がけるようになったのは、第二次大戦後プラハの国立映画製作所のディレクターに就任してからで、アメリカでの商業的なアニメーションとは一線を画す、社会主義圏ならではの芸術性の高い作品の数々を生み出して、国際的に知られていきます。
人が糸で操る人形劇や日本の人形浄瑠璃などがそうであるように、トルンカの人形は、まばたきをしたり口をあけてしゃべったりはしませんが、体全体の仕草や前後の文脈のなかで、悲しさや恐怖などの感情を見るものに読みとらせます。
これは顔や体の動きが目まぐるしく変化し、エネルギー溢れる表情豊かな演出が主体のアメリカのカートゥーン・アニメーションとは対極をなすものだといえます。
トルンカの元からは優れたアニメーション監督も輩出していて、日本の川本喜八郎やチェコのブジェティスラフ・ポヤール(Břetislav Pojar)が有名です。

このドキュメンタリー映画は、トルンカが人形や舞台装置の造形から動きの演出に至るまで、細心の注意を払って関わっている様子が紹介されています。 また彼が長編人形アニメーション作品のみならず、セルアニメーションや切り抜きアニメーションなどへの造詣も深く、映像を作り出す上で工夫を凝らしていたことがわかります。
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「真夏の夜の夢」1959 撮影中のトルンカ
※「Experimental Animation」Robert Russet & Cecile Starr p.73 の写真を転載

アレクセイエフとピンスクリーン・アニメーション

ロシア出身のアレクサンダー・アレクセイエフ(Alexandre Alexeieff)は、ロシア革命後にフランスのパリに移り舞台美術や版画の技術を使った挿絵の仕事につきましたが、映画の可能性にも強い関心がありました。
リトグラフの挿絵なども手がけていた彼は、セルを使ったフラットなアニメーションではなく、陰影に富んだ奥行きのあるアニメーションを可能にする技法として「ピンスクリーン」という特殊な装置を妻のクレア・パーカー(Claire Parker)とともに開発しました。
ここではピンスクリーンを使った作品例として「鼻」と、ノーマン・マクラレンに招かれてカナダに渡り、その技術を解説したドキュメンタリー「PIN SCREEN」を取り上げています。
下のタイトルをクリックしてご覧ください。  

・「PIN SCREEN」カナダ国立映画局 1973年

・「鼻(The Nose)」アレクセイエフ&パーカー 1963年

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「ピンスクリーン技法の解説」

アレクセイエフとパーカーが発明したピンスクリーンの装置は、白い直方体(3フィート×4フィート)のボードに数十万本(2.5センチ四方に約340本)の黒いピンが埋め込まれていて、ピンは前後に可動式になっています。
このボードに斜めから光を当てて、ボードから突き出たピンの長さを調節することで、そこにできる影の長さが変わり、明暗の階調を作ることができます。
アレクセイエフとパーカーは、1933年に彼らが発明したピンスクリーンの装置を使った初のアニメーション作品、「禿山の一夜(Die Nacht auf dem Kahlen Berge)」を制作しました。これはモデスト・ムソルグスキーの曲に乗って、聖ヨハネ祭の前夜に禿山に魑魅魍魎が集まって騒ぎ夜明けになって消えていく様子を描いた作品です。
いわゆるカートゥーンとは異なる暗く深いイメージの新しいアニメーションとして高い評価を得ていました。
その後もカナダ国立映画局(NFB)に招かれ、カナダ民謡に乗せた「道すがら(En passant) 」1943年を制作しています。
ピンスクリーンの技法は大変な時間と労力を要するため、その後、作品として完成したものは上記「鼻(The Nose)」1963年と「展覧会の絵」1972年、「三つの主題」1980年ぐらいです。
ここでご紹介する「PINSCREEN」は、アレクセイエフとパーカーがノーマン・マクラレンに招かれて、カナダNFBでワークショップを開き、スタッフにピンスクリーン技法を実演しながら解説したドキュメンタリー映画です。
ピンスクリーンは大変特殊な装置で作業も難しいため、アレクセイエフとパーカー以外にその装置を使ってアニメーションを作る者はいませんでしたが、NFBにいたジャック・ドルーアンやミシェル・ルミューがそれに挑戦して、アレクセイエフたちとはまた一味違う作品を残しています。
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ピンスクリーンの裏側から、アレクセイエフの指示により、ローラーを使ってピンを押し出す作業をするパーカー

◆ ピンスクリーン技法の後継者たち ◆

(URLをクリックすると新規タブでYouTubeのページが開きます)
Image「風景画家(mindscape)」1976年
ジャック・ドルーアン(jacques drouin)https://youtu.be/ydiaPnag0YE
ジャック・ドルーアンはピンスクリーン技法を受け継ぎ、この作品を制作しました。
風景画家が自身の描く絵の世界に入り込み、幻想的な世界をさまよいます。
Image「此処と大いなる何処か(Here and the Great Elsewhere)」2012年
ミシェル・ルミュー(Michèle Lemieux)https://youtu.be/rBpaSpV3ljY
ジャック・ドルーアン後にピンスクリーンで臨んだ作品で、フィルムではなく、デジタルカメラで撮影し、前の画像との関係を確認しながら作業することで、より緻密な動きを作れるようになりました。
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